「空気を読む」という謎ワード

いきなりですが、私はぶっちゃけ「空気を読む」という言葉があまり好きではありません。

もし「空気を読め」なんていう人には「空気は読むものじゃなく吸うものなんやで」とあえて空気を読まないセリフを言ってやりたいと物凄く思います。

そもそも空気が読める事が良い事であり、言葉で伝える事の上位互換の様な扱いになっている事も理解不能です。もしこの「空気を読む」という事がそれほど当たり前であるのならば、世界でもデファクトスタンダードな文化としてもっと浸透しているはずですが、実際は日本の文化であるところが大きいです。

そもそもこんなにも価値観が多様化している世の中で、空気なんて読める訳がないだろうと思います。

まぁ求めている意味を解釈するとすれば、「配慮しろ」という事なのだとは思いますが、「空気を読め」とかいうやつに限って「自分の都合の良い様に忖度しろ」といっても過言では無いような状況だったりします。それに自身は空気を読めると自負しているからこそ他人様に空気を読めという発言をするのでしょう。

ならば「空気の読めないやつの空気でも読んで足並みでも揃えてれば?それで解決よね?」とか思いますし、現にそいつはその空気を読まなかった人の空気を読んでいない訳でお互い様だろという気もします。

じゃぁ自己中に生きても良いという事を肯定している訳ではなく、配慮はする必要はあるし、TPOを弁えるタイミングというのは確かにありますが、例えば飲み会とかの付き合い悪いとか、ノリが悪いとか、昔からの慣習だけで成り立っているが、別にそうである必要が無い物に対して「空気を読め」という部分は間違っていると思っているだけです。

日本人の中でもそのあたりの考え方が嫌いな人って割といると思うですけど、それこそ波風立てない様に空気を読んでいるんでしょうけどねぇ。

雑記

Posted by 志津香